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出直し人生は弁理士で行こう!(第1回)
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タイムマシンを使って15年前の私に「将来,君は弁理士として新大阪で特許事務所を経営しているよ」と教えてあげたとしても,絶対に信じないだろう。その頃の私は,入社3年目(25歳)のLSI技術者でした。いつか,俺が作ったんだと自慢できるような製品を世に送り出すことが密かな目標であり,技術者以外の生き方など全く選択肢にはなかったのです。
その私が,2度の転職を経て,小さいながらも特許事務所を経営し,給料を払う側になっているのです。人生というのは,なかなか一筋縄では行かないもののようです。
転機は26歳で結婚を決めたとき,突然訪れました。当時,LSI設計者は40歳を越えると体力的に無理だと噂されていました。確実にやって来るそのとき,自分はどうなっているのかを考えるようになったのです。失業して妻子を路頭に迷わすような情けない事態だけは何としても避けねばならない。
そんな風に悲観的に考えるのには理由がありました。私は、バブル景気が終わりに近づいた88年に大学を卒業し,精密機器メーカに就職したのでした。そのため,就職先には困りませんでしたが,バブル期の大量採用と,その後の極端な採用抑制によって,先輩が大量にいるわりには後輩がいつまでも入ってこないという職場であり,入社5年目というのに,まだ私が一番下っ端という状況だったのです。全員がこのまま年をとっていくわけで,私に回ってくるポストなどはないし,それ以前に,私には評価につながりそうな仕事が回ってこないのです。代わりはいくらでもいるという存在であることは,自分が一番よく知っていました。
ちょうど世間ではリストラの嵐が吹き始めたころであり,私はリストラされても生きていける道を模索し始めたのでした。医者,弁護士,大学…と真剣に考えた末,弁理士を目指すことに決めました。
その頃の弁理士のイメージはというと,特許出願の打ち合わせで面識があった大手特許事務所の弁理士そのものでした。その先生は,担当者が懸命にメモをとっている横で,ふんぞり返って終始黙っていました。何が偉いのかはよく判らないけれど,悪くはなさそうな職業だなというのが,その頃の正直な感想でした。
(次号に続く) |
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